三保の松原悲しき眺望

大量の砂が補給される三保の松原付近
(静岡市清水区)
三保の松原悲しき眺望
2007年12月31日中日新聞


 天女が舞い降りたという伝説の「羽衣の松」で知られる三保半島・三保の松原(静岡市清水区)からの眺望が,砂浜浸食によって損なわれつつある。
 
 静岡県は消波堤を設置して砂を補給するなどの対策を講じ,砂浜の回復に見通しがついたとしているが,現状は名勝と呼ぶには悲しいありさまである。
 対策の成果が表れるのは20年先の話になりそうで,地元は松枯れの心配も追い打ちをかけて苦悩している。 

 「せっかく補給した砂が,大波に削られたこともある。地道な対策が必要」。2007年12月下旬,羽衣の松近くの波打ち際で,浸食対策工事の監督を務めていた杉山博康さん(32)が話した。

 海岸線は,消波堤などを置いた部分に砂が堆積し,のこぎり歯のようにギザギザしている。
付近では1日に大型ダンプ60杯分の砂をブロックの上に投入するといい,杉山さんは「羽衣の松の前で、ブロックが見えてはまずいという事情がある」と説明した。

 三保半島で浸食が目立ち始めたのは1980年代。
市内を流れる安倍川で砂利採取が盛んに行われた結果,65年ごろから河口東側の海岸で浸食が発生。
 浸食域が年平均270メートル幅で進み,約10キロ先の三保の松原に消滅の危機が浮上した。

 このため県は89年度から国の補助事業で対策に着手し,年間5万立方メートルの砂を補給するとともに,2005年度までに消波堤,離岸堤などの整備を完了。
 砂利採取が禁止されたこともあって河口東側から砂浜が回復しはじめ,29年ごろには三保の松原まで到達すると見通しを立てた。

 ところが補給した砂が流出して漁場を荒らすなどの問題が起き,06年の検討委員会では離岸堤を改良するなどして砂浜の回復を早めることなどを決めた経緯がある。

 対策に業を煮やしたNPO法人「三保松原・羽衣村」(宮城島史人理事長)が07年10月、国や県、市などに提言書を提出した。
 「名勝というにはあまりに無残な工事現場さながらのありさまになってしまった。」
 「富士山を世界遺産にという運動が高まっている昨今、眺望する景勝地の整備も真剣に考えてほしい。」などと訴えた。

 県静岡土木事務所清水支所によると,89年度から投じられた浸食対策費は約71億円に上る。
提言を受けて支所などは本年度中に検討会を立ち上げる予定で,担当の西谷誠主幹は「なんとか砂浜が回復するのを見守ってほしい」と説明する。

 三保の松原が国指定名勝になったのは1922(大正11)年である。
白砂青松にそそりたつ富士山の眺めは復活するのだろうか。

 松原にある老舗旅館「羽衣ホテル」おかみで,先の提言書をまとめた遠藤まゆみさんが憤りを込めて,「松原の保全は住民だけでは難しい。このまま日本人の宝をつぶしてはならない。」と語った。

[砂の定着に工夫必要] 
 砂浜浸食に詳しい田中博通・東海大教授(流体工学)の話
 
 「三保の松原の浸食対策は間違ってないが,大量に投入している砂がより定着する工夫が必要だ。今後は、地球温暖化による海面上昇の影響も考えられ,山,川,海づくりといった大きな視点で浸食問題に取り組むべきだ。」
と語っている。


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